あらためて脱原発の思いを強くした福島

2014年8月12日 13時44分 | カテゴリー: 活動報告

 69年前の8月6日広島、9日長崎に原爆が落とされました。あらためてそこに暮らす全ての人を標的とした原爆投下の残酷さに憤りと深い悲しみでいっぱいになりました。原爆だけでなく劣化ウラン弾等による被爆者、3.11の原発事故の被爆者の方々のことも深く心にあります。7月21〜22日、「第2回 福島を忘れない・全国シンポジウム」に参加したことによって、原発の廃止と世界中の核兵器の廃絶を願う気持ちを強くしました。

 21日午後は福島のグリーンパレスでシンポジウムでは、最初に地元川俣町議の菅野清一さんの現状報告、前双葉町長だった井戸川克隆さん、楢葉町の宝鏡寺住職で原告団の団長でもある早川篤雄さん、福島原発被害弁護団共同代表の鈴木弁護士、福島大学名誉教授で福島県九条の会事務局長の真木實彦さんなどが講演。

 菅野清一さんの現状報告にショックを受けました。川俣町で除染の実験をするための田んぼの保障金は固定資産税の評価で4900円だが、その広さの田んぼの土の表層から5cmを剥ぎ取る除染費用は400万円。「除染は企業が儲かる仕組みになっている」のです。なんと田んぼ1m2の固定資産税評価は400円だそうです! 畑はもっと安い!

田畑の1㎡あたりの補償額の低さは川俣町議菅野さんの言われる通りです!

 楢葉町民の早川篤雄さんは、「除染が終わったが、日々空間線量は高かったり低かったり安定しない。とても暮らせるような状態ではない。戻る人が少な過ぎて町は消滅する。事故の収束を見ずに自分の人生が終わると思う」と悲痛に語りました。

 楢葉町より先に国が直轄で除染した広野町は宅地しか除染しないため、全体の汚染濃度は少し下がったけれど今もかなり高めで実際には家族で住めるレベルではありません。

  広野町は帰町宣言しましたが、実際には役場、公立小中学校に職員も子どもたちもいわき市から通い、広野町に住んでいる町民はほとんどいない、見せかけの帰町。

 しかし、帰町宣言して1年が経過すると東京電力から今出ている月10万円が自動的に打ち切られることになります。自治体の存続がかかっているので、どうしても帰町していることにしたいのでしょうか。

まだ新しく見える住宅がいくつもあの日もまま放置されていた

楢葉町の田んぼだった場所に除染された汚染土壌が次々と運び込まれていた

 

 

 

 

 

 

3年前のあの日のまま、触ることもできない富岡駅

 

 双葉郡の大熊町野上1区の代表(区長)木幡仁さんは、区の総会で「帰らない 宣言」を決めたそうです。
 実際には除染しても暮らすことができない土地に多額の税金を投入し、うわべだけの除染をしてムリに戻すより、国が100年200年単位で安全になるまで管理して、いま除染につぎ込まれている税金をまず、安心してくらせる代替え地と家、仕事を提供するなど、これからの暮らしに十分な保障や支援をすべきと感じました。

 

福島大学の真木先生

 福島大学名誉教授で福島県九条の会事務局長の真木さんは、原発3メーカーを捨てられるのか政府の原発推進は強固だ。できるだけ国民から遮断して原発被害者とそれ以外の国民を分断しようとしている、と指摘されました。
 まさに、帰るも地獄、帰らないも地獄・・・現地に来て生々しい現実が私たち東京に住む者に突きつけられました。報道が伝えない国や行政が公表しない現場の事実を私たちはもっと知り、多くの人に伝えなければと強く感じました。これは福島だけでなく、これが国のやり方?

 普通の人々の当たり前の日々の暮らしが安心してできるからこそ、国の発展や繁栄があるのに、一人ひとりの国民を大事にしない国の今後はどんなでしょうか?これからの日本を考えると、今、私たちが「大事なことは市民が決める」という国に日本を変えていかなければと思います。

 東京電力福島原子力発電所の過酷事故は、原発エネルギーに頼ってはいけないということをはっきりさせました。世田谷から脱原発に向けた取組みをこれからも着実に進め、福島の方々や全国のみなさまと連携して、原発に頼らない社会の実現を目指します!

とりで生活者ネットワークの市議池田めぐみさんと

前双葉町長 井戸川克隆さん