大震災から5か月たった宮城県南三陸町

2011年8月12日 15時59分 | カテゴリー: 活動報告

必死の復旧復興作業が続けられているが、5か月たった今も、なぎ倒 れた電柱やうずく高く積まれた瓦礫の山があちこちに見られる。その甚大な被害に目を疑うほど
必死の復旧復興作業が続けられているが、5か月たった今も、なぎ倒 れた電柱やうずく高く積まれた瓦礫の山があちこちに見られる。その甚大な被害に目を疑うほど
 8月9日、東北新幹線くりこま高原駅から、桜井区議、高岡区議と西崎都議、それに社民の2人の区議と6人でレンタカーを借りて、南三陸町を目指しました。しばらくは、青空と田んぼが続くのどかな日本の故郷の風景が続き、吹く風も猛暑の東京と違い、涼やかな心地よさを感じました。
 ところが、海に近づくにつれて、山の木々が海水で茶色く立ち枯れ、ペチャンコにつぶれた車があちこちに点在し、折れた電柱が転がり、1階部分が柱だけになっている家屋が見うけられるようになります。道1本、ほんの少しの違いで、何事もなかったように暮らせる場所と、津波の被害で、とんでもなく悲惨な世界が隣り合わせに存在していました。

 海沿いには、5か月たった今も、津波被害の甚大さをまざまざと見せつける光景がありました。道路がなくなり、その内側にあった鉄道線路がなくなり、わずかに、駅だったことがわかる建物の一部が残っています。あまりの凄まじさに、立ち尽くし、言葉もありません。鉄骨だけになった防災対策庁舎。この庁舎の3階で女性職員が、町民に逃げるように、防災無線で自分の命を犠牲にして、最後まで呼びかけたそうです。ここに設けられた祭壇に、私たちも献花し、被害に遭われた皆さまのご冥福を心から祈りました。

 現在、南三陸町役場は、高台にあるスポーツセンターに、プレハブの仮庁舎を置いて、復旧と復興に取り組んでいます。そこから少し離れた高台にある「平和の森」に、世田谷区の職員も20人で1グループとなって、2週間交代で、家屋台帳の復元作業に取り組んでいます。毎日調査に出て1軒1軒訪ねると、地元の皆さんから、とてもよくしていただくことが励みになり、逆に、元気をいただくということでした。ここには野球場もあり、ちょうど、中学生が試合をしていました。そのすぐ下には、30棟以上の仮設住宅が建てられ、入居された方々が新たな暮らしをスタートさせています。
 
 南三陸町は、山と海に囲まれた、自然豊かな実り多い、素晴らしい町でした。1日も早く、以前の町を取り戻すように、みんなで力を合わせましょう!